使ってはいけない言葉

 

「上司は私を叱責するが、私の頑張りを評価してくれない」

 

「努力しているのに年収が上がらない社会のシステムはおかしい」

 

この「私は頑張っている」「私は努力している」というセリフも、使ってはいけない言葉の代表例です。

 

そもそも「頑張っている」「努力している」とは、自分以外の誰かを評価する時に使う言葉であって、自分で自分を評価して他人に主張する言葉ではありません。

 

例えば、自分が1日50件の営業電話をかけて「自分は努力している」と思っていても、他者のトップ営業マンは1日100件かけているかもしれません。

 

1日12時間働いて「こんなに頑張っているのに年収300万円はおかしい」と不満に感じていたとしても、他業界に行けば、1日16時間働いて「まだまだ」と思っている人もいるかもしれません。

 

中国人や韓国人も同様です。

 

特にビジネスエリートは日本人には想像できないくらい働きます。

 

日本でも、日曜日に飲食店を予約しようとすると、営業しているのはたいてい中華料理店で、彼らは休みなく働いている事がわかります。

 

つまり、自分は努力していると思っても、世の中には圧倒的な努力している人が、うなるほどいるのが現実なのです。

 

そうした人を知らずして「頑張っている」とは、言えば言うほどピエロ同然です。

 

基本的に、他人は結果のみで判断し、プロセスでは評価してくれないものです。

 

どんなに素晴らしい意見を持っていても、それを発信しなければ、何も考えていないのと同じです。

 

どんなに沢山の勉強をしても、それが社会への貢献や自分の収入に活かされなければ、何も学んでいないのと同じです。

 

特に仕事では、結果を出してこそ、そのプロセスを讃えられるものです。

 

努力が評価されるのは学生まで出会って、結果が出ずして他人に「君は頑張ったね」「よく努力したね」と言われたら、たいていの場合、慰めでしかありません。

 

本当に認められる人というのは、自分の評価は他人に委ね、結果で勝負をします。

 

結果で勝負するという事は、全てが自己責任である事を受け入れる、という事でもあります。

 

だから不平不満も言わず、目の前の仕事に集中する。

 

結果が出なかった時は潔く認め、次への糧とする。

 

そうした姿勢は、周囲からは頼もしく見えます。

 

言い訳せず、責任を取れる人だと映ります。

 

だから、プロセスを評価してもらおうとするのをやめ、アウトプットに注力する事が大切です。

 

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