プライドには、自分に対するプライドと、他人に対する「見栄」のプライドの2種類があります。
自分に対するプライドとは、例えば「自分はこのくらいではへこたれない」とか、「自分はまだまだやれる」という自分に対する信頼感、自らの可能性を信じる気持ちの事です。
自信が依って立つ根拠であり、行動指針です。
その一方で、「年下の人間に使われるのは沽券に関わる」とか「自分から謝るのはプライドが許さない」などと考える人がいます。
これが、ゴミの役にも立たないどころか、人生を台無しにする邪魔な感情の「他人に対するプライド」です。
彼らは、他人から馬鹿にされたり、見下されたり、不遜な態度を取られたりすると、「プライドが傷ついた」「プライドが許さない」などと逆上します。
彼らのプライドは、他人との関係性で優位に立ちたいという見栄にフォーカスされているからです。
年下だとわかるとと他人にタメ口なったり、飲食店で店員に横柄な態度を取ったり、自分の意見に反対されると猛抗議したりするのもこのタイプです。
「器が小さい」「ケツの穴が小さい」と言われるのは、彼らのように見栄のプライドにしがみつくあまり、他人の言動によって自分の感情が支配されている人の事です。
他人に対するプライドを捨てられる人は、年下の人間にも頭を下げて教えを請う事ができます。
ちっぽけなプライドよりも、自分の知識欲を満たす事や人脈を広げる事、そして自分の成長にフォーカスしているからです。
そしてそのためには、相手を気分よくさせる事が必要であり、「へりくだる」事はタダでできる自分の販促手段であるとわかっています。
そうした姿勢は一見「謙虚な人」と映りますが、名より実を取る、徹底的な現実主義者なのです。
しかし、そんなプライドが捨てられない人は、自分が「小物扱い」される事を極端に嫌い、こうした行為が自ら利する「人間マーケティング」だと考える事ができません。
こうして自らの成長のチャンスを逃すのです。