私達は幼少期から「できる・できない」で評価され続け、「できる事が善、できない事は悪」という価値観を植え付けられてきました。
例えば、鉄棒の逆上がりができずに居残り練習をさせられていた同級生、給食の牛乳が飲めずにずっと机に座っていた同級生がいたと思います。
他にも、感じが読める、九九が言える、更にパソコンができる、英語ができるなど、「できる事」を追い求め、親や学校の先生からもそれらを強く期待されてきました。
一般的に、できる事が多い方が優秀だ、できる事が多い方が、選択肢が増え、やりたい事ができるようになるとされているからです。
確かにその側面はあると思います。
しかし社会に出ると、自分にはできない事が沢山ある事に気づかされます。
自分よりもうまくできる人は沢山いる事を見せつけられます。
そういった現実に直面し、自分を不甲斐なく思い、敗北感を味わってきた人も少なくないと思います。
もしそんな感情に打ちのめされそうになったら、こう割り切ってみましょう。
自分ができない事は他の人に任せ、自分がうまくできる事こそ自分に与えられた役割だと思えばいい。
ある程度やってみて、それでもできない事は早々に諦めて、できる事を磨いていけばいい、という風にです。
これは向き不向き、得意不得意にも通じます。
できない事はどうやってもできないし、克服しようとする努力は、しんどいにもかかわらずリターンが少ない。
だから「自分には向いていない」と思ったら、すっぱり方向転換するのが吉というものです。
別に鉄棒の逆上がりができなくても、人生がずっと不幸なわけではありません。
たった1つのできる・できないが決定打になるほど、人生は単純ではないのです。
もちろん、自分ができる事に需要が無ければ、「できる」という事に価値が生まれないわけですが、自分にできない事を嘆くよりも、できる事を極限まで磨き上げれば、それが誰にも負けない売りになるはずです。
自分にも自信がついて納得感が得られ、劣等感も解消できるのです。