空気を読む

 

仕事はもちろんの事、プライベートにおいても重要なスキルに「空気を読む力」があります。

 

空気を読む行為は、その場の雰囲気を壊さず人間関係を円滑に進めるため、ある程度必要なものであると考えています。

 

けれどもその一方で、空気を過剰なまでに呼びすぎている「いい人」もいるのが現実です。

 

空気を読みすぎている「いい人」は1人で苦しんでいる事が多く、常に周りの空気を読み、時には自分を犠牲にする事もあるので疲れてしまい、ストレスが溜まりやすいといえます。

 

ストレスを必要以上に溜めないため、「空気」は読まない方がいいのでしょうか?

 

ここにコツがあるのです。

 

いたずらに「空気」を否定するのではなく、適切につき合いながら暮らしていく習慣をつける事で、私達は楽に暮らしていけるのだと思います。

 

「空気を読む」とはいったいどういう事なのでしょうか?

 

素直に考えた時、日本独自の文化という印象がありますが、実は洋の東西を問わず存在します。

 

ここで「空気を読む」という感覚の、欧米と日本における違いについて分析してみます。

 

日本人は自分の主張を相手に明確な言葉で伝えたり、自分の気持ちを前面に押し出したりする事は、「和を乱す」と考えてなかなか口に出しません。

 

相手の要求や思いを前提にコミュニケーションすべきだという「忖度文化」です。

 

これに対して欧米人は、もともと大陸での異民族コミュニケーションが多かった事情もあり、明確な自分の基準を持って行動し、どんな場面でも必要な事ははっきりと言葉で伝えないと、人と人とは分かり合えないという認識を持っています。

 

言ってみれば「自己主張の文化」です。

 

東西両方のコミュニケーションの前提として、「他者中心が当たり前の空気」「自分中心が当たり前の空気」という違いがあるのです。

 

そもそも、「空気を読む」という行為の最中に脳はどのように動いているかというと、脳の眼窩前頭皮質、つまりは文脈を読み取る回路が働いています。

 

そこに日本人と欧米人の違いはありません。

 

両方とも「空気を読む」という能力までは一緒ですが、問題となる集団の中に満ちている空気が何なのか、そして空気読んだうえでそれをどうやって行動に移すか、という違いです。

 

日本型と違い、欧米型の「空気を読む」は、皆の意見に流されて同調するのではなく、自分の意見を主張するのは当たり前だという前提のもと、時に議論を戦わせながら理解や信頼を深めるという事です。

 

日本人も欧米人も、場の「空気」を読みすぎて、自分の意見や感情を抑え込んでばかりいれば気疲れしてストレスが溜まります。

 

そしてそれがいつしか鬱積して怒りとなり、突如爆発してしまったり、鬱状態を引き起こしたりする事もあります。

 

そうならないための重要なポイントは、

 

自分が空気を読む→周りのために行動する→周りも空気を読む→自分のために行動してくれる

 

というサイクルを自分が回せているかどうかを確認する事です。

 

空気を読むために必要なのは、その場にいる人達がお互いにwin winの関係性を持っているかどうかです。

 

このようなサイクルが回せていれば「いい人」を脱却してお互い思いやり合ったコミュニケーションが成立します。

 

そして、空気を読む事で疲れたり、自分だけ損してしまう、という事がなくなるのです。

 

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