運が悪い人、運気を下げる人というのは、考える時、ものをいう時の主語が、全て「私」です。
私「は」儲けたい・・・、私「が」嬉しいのは・・・。
「私は」「私が」という思いは「我」です。
自分が、という「我」を手放さなければ、どんなに素晴らしいメンターと出会っても、どんなに素晴らしい話を聞いても、いつまでも運命を書き換える事はできません。
そこには「受け入れる」という謙虚さが、まるでないからです。
成功するには「我」を手放して、成功している人の真似をするのが1番なのです。
ビジネスに置いていえば、「私」から離れて、「お客様」「他人」が主語にならなくては、その先が展開しません。
お客様をどう喜ばせるか。
お客様の価値をいかに上げるか。
上司をどう勝たせるか。
このように他人を主語にした方が、「私」を主語にするよりも美しいのです。
人から好かれます。
ファンづくりにもなります。
話し言葉も書き言葉も、全て「主語」が何であるかによって内容も表現も、訴えかける力も違ってきます。
日本語は主語が曖昧だとしばしば言われるところですが、主語をきちんと特定した方が、言いたい事が強く伝わります。
その時に、誰の事、何の事を言っているのかによって、相手の聴き耳は敏感にもなり、いい加減にもなれると思います。
聴き手である自分の事を主語にしているとか、自分い関係する事が主語だと分かると、がぜん、聴き耳がたちます。
反対に、話し手や書き手の自慢話は、よほど伝え方がうまくないと、聴き手、読み手の関心を続けさせる事は難しくなります。
面白いもので自分の人生が傾きかけると、人は「私が」「私が」という傾向があります。
何かとして、勝ち目の人生を立ち直らせたいと思うあまりでしょうが、その焦りが周りを見えなくして、かえってよくない結果を生みます。
また、「自分は凄い」と思った時、その瞬間から人は落ちていくようです。
あくまでも自分にはまだ力が足りないといった、謙虚な思いで生きる心構えは大事です。
「私が」と自分が主語の時は、自分中心主義に落ちていて何も見えていない時です。
成長は、できない事ができるようになる事ですが、「できたぞ、自分は凄いぞ」と思った時には、もう先がありません。
まだ足りていないところがある、できていないところが沢山ある、と考えて努力してゆく中で、成長があるし、成功もあるのです。
出来た事よりも、明日に向けた伸びしろが大きい事の方が、もっと重要なのです。