皆さんは自分の弱みをさらけ出せますか?
一人という環境を恐れる人は、自分の弱みをさらけ出すことを嫌います。
弱みを知られて周囲から見下される事、実力がバレてがっかりされる事、あきれられたりして人が離れていって一人になる事を心配するからです。
同じような理由で、失敗する事も恐れてしまいます。
「失敗は良くない事」だという思い込みが強く、それで自分は無能な人間だと思われたくないからです。
失敗を恐れるから挑戦を躊躇するんです。
だから成果も出ないというループにはまり、結局何かを成す事ができません。
しかし一人という環境を恐れない人は、自分の弱みをさらけ出す事を躊躇しません。
弱みを出して人が離れていったとしても、「それはそれで仕方がない」と思っているからです。
こういう人は、自分の弱みすら肯定しているからです。
これは単なる諦めとか、現状維持で良いという逃げの意味ではなく、「確かに自分の欠点かもしれないけど、それも含めて自分」と受け入れています。
だから、仮にそれで他人にバカにされたとしても、「そういう人がいるんだ」というくらいで気にならないんです。
一人を恐れない人は、どうでもいい人と無理して付き合う発想がないので、人の欠点をバカにする程度の人間は自分の周囲には不要だと良い意味で割り切っています。
なので、失敗を恐れないんです。
失敗というのは自分の勉強であり、恥ずかしいものではないという認識がある為、それで他人がどう思おうと関係無いんです。
失敗も含めて自分をさらけ出すことができるんです。
私の弱みは、今では強みです。
私の過去の経験があったからこそ、強い自分で居れるのだと思っています。
失うものは失いました。
もう失うものなんて無いと、捨て身でがむしゃらにこれまでやってこれました。
今でも私は寝る前になると「明日は来るのだろうか?」と思いながら寝たりすることもあります。
まだ27歳なので、「来るのが当たり前」と思うかもしれませんが、仲の良かった先輩が32歳で急性の心臓麻痺で亡くなっています。
本当にそういうのも見てきているので、「明日は我が身」だなと思いながら日々生きています。
「明日が来るのが当たり前」とか「誰かが何かをしてくれるのが当たり前」とか私は「当たり前」なんて無いと思います。
イレギュラーな事なんてたくさんあります。
先輩が亡くなった時も「まさか・・・」と思い信じれなかったですし、本当にその時に、どれだけ健康でも明日が来ないという事があるんだなと思いました。
私も大好きな先輩でしたし、その先輩の命は私も無駄にはできません。
「明日は我が身」だと思う大切さを教えてくれました。
なので、私は明日死んでも良いように毎日やりたい事だけをして毎日過ごしています。
私に言えるという事は、皆さんにも言える事です。
毎日後悔の無いように、全力で生きて下さい。