人生は選択の連続であり、その積み重ねで今があります。
違う大学に進んでいたら?
違う会社に就職していたら?
あの会社に転職していたら?
別の人と結婚していたら?
こういった大きな決断だけでなく、どの本を読むか、誰に会うか、何を勉強するか、何にお金を投じるか、人からの誘いを受けるかといった小さな決断によっても、「別の道を選んでいたら、違う人生になっていたかもしれない」と思う事も沢山あります。
後になってから違う人生を生きる事も試す事も不可能ですが、選んだ道の軌道修正はできますし、今から別の道を選ぶ事はできます。
もし現状が不満であれば、これからの選択を適切にすればいいだけの事です。
そのためには、今やっている何かを諦めなければなりません。
諦めるとは「幸福に向かうチョイス」であり、「より大事な物を選ぶために、そうではないものを捨てる」事です。
「失意」や「挫折」による諦め方ではなく、「未来を明るくする、自分の適性や才能を明らかにする」という前向きな諦め方が必要なのです。
そこでお勧めするのが、「諦める」の定義を変える事です。
「諦める」というのは、元は仏教用語で、「明らかにする」が語源だという説を聞いた事があります。
本来は、挫折や敗北、後悔の対象という意味ではなかったようです。
諦めるとは、執着からの解放であり、気持ちを切り替える事。
自分にとって大切でないものを捨て、より大切なものを選ぶ決断術であると思うのです。
自分にとって重要で本質的な目的を見失わないようにするとは、いったん立ち止まって考えてみる事。
そして現実を受け止める事です。
「諦める」とは、それまでの自分のやり方に決別し、違うやり方を取り入れる事です。
つまり、変化する事です。
変化は時に苦痛や面倒くささを感じる事もあります。
自分が信じていた事を変えるのは受け入れがたいという人もいると思います。
自分の考えを曲げるのは屈辱的だと感じる人もいるかも知れません。
しかしそうやって変わらないのは楽ではありますが、現実逃避や思考停止と同義です。
暑いのに意地を張ってエアコンを使わなければ、最悪の場合、熱中症で倒れる事があります。
これと同じで、変化を拒んで幸福になれる人は少数派なのです。
自分のやり方を変えなければならないと気付く事は、自分の誤りに自覚的になる事であり、それこそが「知性」であるはずです。
「ブレない」「一貫性がある」というのは良い事、望ましい事のように思いますが、現代のように環境変化が激しい時代にはむしろリスクがある事にも、敏感になっておきたいものです。