例えば、成功体験がなく自信がない事について、何か新しいチャレンジするとします。
しかも、周囲の人から見れば、「それはちょっと無謀、無理では?」と思える大きなチャレンジだったとします。
もし皆さんだったらチャレンジしてみようと思いますか?
こんな場合、そんなチャレンジができるというのは、とても度胸があると周りの人は思うかもしれません。
しかし、実はその本人からすると特別に自分に度胸があるなんて思っていないと思います。
少なからず成功させる自信があるから、そのチャレンジをしただけの事なのです。
では、その自信はどこから来るのでしょうか?
それは、過去の小さな成功体験からだと思います。
「跳ね返す人」は、もともとチャレンジ精神が旺盛で、子供の事から多くの事にチャレンジしてきた経験を覚えているものです。
「あの時もやれたんだ。今回も、きっとうまくいくに違いない」と考えるのだと思います。
人は、自身が1つでもあるってだけで全然違うものです。
そう考えられる方こそ、人にはできないチャレンジができるのです。
「引きずる人」は、大人になっても、仕事のミスに対して注意を受けたことで深く落ち込んだり、1度の失敗でやる気をなくしてしまったり、怒られるのが辛くて「失敗なんかしたくない」と考えを持つようになってしまうのです。
更に失敗した事を「知られたくない」と考えるあまりに、こっそりミスを人のせいにして、隠そうとしてしまいがちです。
もちろん自分ではそれでも乗り切ったつもりかもしれませんが、その失敗を受け入れておらず、また同じような失敗を繰り返す事になり、そのままずっと引きずる事になってしまいます。
そして新しい事や困難な事へのチャレンジにしり込みします。
一方、「跳ね返す人」は、理不尽な怒られ方は別として、怒られる事を歓迎している場合すらあるものなのです。
それどころか、失敗したのは自分だと認める勇気を持ち、怒ってくれる人に感謝するのです。
どういう事かと言えば、怒られる事は誰にとっても嫌な事ですが、「跳ね返す人」は「怒ってくれる人は優しい人」だと考えているからです。
なぜなら、「怒る」という行為は、怒る側にとってもパワーが必要な事だからです。
どんな人でもできる限り怒りたくないにもかかわらず、なぜ起これるのか?
それは怒る人が相手をそれだけ気にかけているからです。
相手の事をどうでもいいと思っていたら、怒る事すらしない、むしろ陰で悪口を言う、失敗をあえて指摘せずそのままにさせるなど、エネルギーを使ってまでわざわざ怒らず別の方法を取ると思います。
「愛の反対は、無関心である」といった有名な言葉もあるように相手に愛を感じていなかったら、怒る事すらしないものです。
「跳ね返す人」は人から怒られたら、ありがたい事だと思う。
その人は自分に対して愛や優しさを持って接してくれていると考えているのです。
その為には、自分に対して何も言わない人と、言い方はどうであれ伝えてくれる人、その違いをまずは少し認識してみて下さい。
そう考えれば、怒られたらへこむのではなく、その人の愛や優しさに応えるべく頑張ろうとも考える事も出来るようになるものです。